メッセージ性の高いイベントの難しさ

友人が出演するので、土曜に高槻現代劇場に「憲法 ミュージカル ムツゴロウ・ラプソディ」を見に行ってきました。
http://www.parr-mark.jp/mutsugoro.html

0歳児から72歳の方まで118人もの市民が歌い手・踊り手として出演し、運営には更に多くの市民が参加する、とてもダイナミックなミュージカルです。
衣裳・音楽・ダンス・歌、全てに一体感があり、大迫力のステージになっていました。みんな、すっごくすっごく練習したんだろうな・・・出演者・指導者の気力がばんばん伝わって来る素晴らしい舞台になっています。 あと1回、7月12日の河内長野市のラブリーホールでの公演が千秋楽。

惜しむらくは、脚本の偏り。一部の漁業者を被害者にしすぎではないだろうか。確かに諫早湾干拓は無駄な公共事業の典型だと思うけれども「憲法 ミュージカル」と銘打つからには、わかりやす過ぎる構成にはどうしても違和感を感じてしまう。目の前に積まれる補償金に対して漁民同士・農民同士が反対派・賛成派に分かれてしまう構図やそういう構図に持ち込んでしまう公共事業のあり方などはちゃんと描かれていたけれども、トラック運転手に転向後の仕事の描き方は必要だったんだろうか?入れちゃうことで労働感が逆に甘くなってる。これはこれで全く別の労働問題だと思う。
それもこれも全部ひっくるめて「国は…国は…」というのは違うんじゃないか。むしろ、被害者同士の対立構造とその解決方法への道を丹念に描くべ きじゃなかったか?あるいは「人の愚行」として並列にまとめるとか。もしくは、ミュージカルにはあれもこれも盛り込まず干潟の生き物の物語としてシンプルに制作して、政治的な話をする第2部を別に構成した方が良かったのではないか?

メッセージ性の高いイベントの難しさも感じつつ、でもそれだからこそ、考えることの契機としてこういったイベントがボランタリーベースで継続されることはとても素晴らしいと思いつつ帰宅しました。

政治がらみのイベントってほんと微妙。もし友達が出演していなかったら多分私も敬遠してました。 誘われてからもずっと行こうかどうしようか迷ってたんですが、 迷った時には面倒な方をとれって自分に言いきかせて行ってきました。

普段、音楽と政治、あまり絡まないですんでいるのって幸せな時代ですよね。
つくづくそれを思いました。 絡まないと音楽活動できない時代だってあったわけだし。

イベント全体として見た時には結構周到に政治色消してあって、むしろ逆にそれが気になるくらい。 市民参加のハードル下げるのにも、観客動員のハードル下げるのにも、それなりにかなり気を遣ってる感じでした。また「プロには当然嫌がられる」からという理由あっての「市民ミュージカル」だとも思いましたし。

あれこれ含めて、 主宰者側の割り切りはかなりの精度で成功してると感じました。 途中いろいろ考えたのだけど最終的には、何もしないでいるよりは、ほ〜んの少しだけでも関心を持つためのきっかけを作れれば…という慎ましやかさを主宰者に感じたのと、ミュージカル自体の完成度(もちろん出演者全員が素人なのに…という点も考慮の上)の両方で、私にとっては納得できる面の方が多かったです。

いや、そういう面倒くさいことはともかくとして、市民ミュージカルでもここまで出来るものなのか!という舞台でした。