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「雑誌」というメディア-3 自信とか愛情とか

雑誌についていくつか続けて書いていたら、友人に教えてもらいました。
「小悪魔ageha」の中條寿子編集長のインタビューが秀逸です。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090714_koakuma_ageha/
正直、感動。

半端なビジネスモデルを越えたところで強烈な自信とか愛情とかを持ってるから、 徹底してユーザー目線で物づくりをしているから、 ちゃんと伝わるものがあるんだと思う。

コラボ企画とか言ってコンテンツを安直に丸投げしちゃったら、それも逆の意味で絶対に読者に伝わりますよね。ネットがどうのとか言って右往左往してるのは、既存の環境や実績に無意識にあぐらをかいていたって企業だけなのかも。(いや、実際にはかなり関係あるとは思いますが)

http://www.j-cast.com/2009/05/30042033.html

・CanCam(キャンキャン):34万6466部
(前年度比マイナス24.25%)
・MORE(集英社):35万2097部
(マイナス10.56%)
・JJ(光文社):10万9853部
(前年度比マイナス24.12%)
・non・no(集英社):25万8648部
(マイナス15.12%)
・with(講談社):33万2410部
(マイナス11.06%)
・小悪魔ageha(インフォレスト):30万部

部数的にnon・noやJJを抜き去っているところを見ると、やはり、ユーザー像の捉え方が強いというか、 解説にあるように、クライアント寄り(売りたいもの・流行らせたいもの)の企画ではなく、ユーザー目線(今現在、実際に欲しい情報)を捉えた企画になっているのだろう。(もっとも、この世代やターゲット層のことは私にはいまいちわからないので、自分ではこの解説の妥当性について判断できないのだけど。)

また、ある意味「ペルソナ・マーケティング」の象徴例のようにも感じました。ある特定の特徴的なユーザーをとことん追いかけていって痒いところに手が届いた瞬間に、それ以外のわりと幅広いユーザーのニーズ(本人達も明確には気がついていなかった見えないニーズ)をわかりやすく掬い上げることができたのかなぁ…と。

コンペ情報

モリサワが文字をテーマにした「字組広告」を公募中。

http://jigumi.bccks.jp/
公募期間:2009年6月18日〜9月18日
主催:株式会社ブックス 共催:株式会社モリサワ
審査員:浅葉克己、北川一成、大日本タイポ組合、中村勇吾

「BCCKS」と「MORISAWA FONTPARK 2.0」を使った新しいタイプの公募展の試みです。応募するしないに関わらず、FONTPARK自体がとても面白いですし、インタラクションが心地いいです。一度試してみてください。

京丹後市観光協会がシンボルマークを募集しています。

詳細は下記。締切は8月14日(金)。
http://kyotango.co.jp/symbolmark.html

断片情報と編集

Twitterのようなミニブログ、Tumblrのような多メディアのクリッピングブログ、Diggのようなソーシャルブックマーク(…っていうか抽象化 した呼び方では分類できない状態で使われ方かぶってるんだけど…)…といった断片情報を収集したり共有化したりするためのサービスが増えている。

情報がどんどん細切れと複製になっちゃって、雑誌や新聞といった編集されたメディアの崩壊に繋がってるみたいな話をしていたんだけど、7月3日の長谷川恭久さんのブログに「ジャーナリストを中心とした新しいビジネスモデル」というエントリーを見つけた。
http://www.yasuhisa.com/could/article/journalist-centered-businessmodel/

「配信しながらニュースの全体像を徐々に形作るプロセス型のジャーナリズム」としてGuardian や NY Times でのライブブログが紹介してある。
http://www.guardian.co.uk/global/blog/2009/jun/23/iran-crisis
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2009/06/23/live-blogging-the-obama-news-conference-2/
そういえば最近、友人のmixi日記でもこのようなプロセス型のニュースが時々紹介されていた。

なるほどなぁ…と思う。時系列の断片情報を積み重ねながらというスタイル、フローをフローに終わらせない方法ってのが試行されているのか。

で、そうした取り組み方が生かされているのがメインカラム。右側のサブカラムの使い方次第では、すしネタ晒してのにぎり寿司的実演編集とか、他の視点織り交ぜた多角的視点編集とか、関連別ネタへの幕の内弁当的編集とか、いろいろ可能になっていくんだろう。

先日、mixiでAmazonのリストマニアを使って手順書を書いている人のことが書かれていたが、シンプルな入れ物でも断片情報は編集できる。
http://www.amazon.co.jp/lm/R317TT7N23LVYM

細切れフロー情報をベースに、プロセスを追いかけながらストック情報化していく容器のデザイン、ありそう。
メールの返信積み重ねによるやりとりって、今は「繋ぐ」形の模索中という感じなんだけど、もう一度「容器」についても考えてみていいかも。古い気もするし、新しい気もする。

それにも増して必要なのは、そうしたツールを使いこなせるジャーナリストや編集者と、ビジネスモデル化するためのクラウドファンディング的な動きなんだろうけど。長谷川さんのブログではspot.usというサービスが紹介されていた。
http://spot.us/

「雑誌」というメディア-2

7月2日に書いた「「雑誌」というメディア」の続き。

第参回天下一カウボーイ大会対談という記事があって、 懐かしい時代から始まって近未来まで、 いろんな意味でとても興味深い内容が書かれている。
http://wccc.onosendai.jp/entry/1733/

最後の7ページ目に雑誌の話がちょっとだけ出ていて、
「ああ、なるほど。雑誌に求めてる部分ってこの辺りか…。」
と思った箇所がある。

清水亮さんの言葉を引用すると、

僕 が月刊アスキーを読んでいて楽しかったのは、まず広告がけっこう楽しくて、そのあとニュースがあって、特集があって、疲れてきたところになぜ か哲学者がMS-DOSをどう使うか、みたいな話が載っていて、スーパーコンピュータがどうのとかニューラルネットワークがどうのって話が載ってて。 ニューラルネットワークっていう言葉自体を知らなかったらそもそも興味のもちようがないし、哲学なんてさらに縁遠いと思うんですけど、そうやって幕の内弁 当的に作られていることで、「結構面白そうじゃない」ということになる。僕はそれが雑誌の重要な機能だと思っています。最近の雑誌は読者のほうを向きすぎ ていて、ある意味無駄がないんですけど、キーワードを拾って次につながっていく、ということがなくなってきてる気がします。

キーワードを拾って次につながることはネットで代替出来ている気がするけど、そこには雑誌ならではの強引な『幕の内弁当的』な構成は見あたらない。新聞の紙面構成についても同様。

文脈は前後するけど、 遠藤諭さんの

僕のイメージでは雑誌というのは、「学校」なのですよ。普通の学校ではコンピュータの進歩に追いつけないから、教えられない。教科書にも載っていない。それを教えてくれる学校が「雑誌」なんですよ。

という発言が雑誌というメディアのひとつの大きな力を表現している。

そして、清水さんの

blogなんかもそうだけど、読者目線不在の記事がどんどん増えてきてる。僕は頼まれて雑誌に記事を書いたりするんですけど、編集者の人もあまり手を入れたがらないんですよ。なにか、メディアって言うもの自体がどんどん変質してきている。

という発言や 、古川享さんの

僕 はね、世の中にアピールするためには、個のポテンシャルをつなげて引き出す場っていうのがもっと必要だと思う。(略)そういう、可能性と可能 性をつなぐ場みたいなものが、昔はあったのになんでなくなっちゃったんだろうと思ったらさ………アスキーがなくなったからだよ!

という発言が、 雑誌メディアの崩壊の理由の一つを語っているのではないかと思った。

メッセージ性の高いイベントの難しさ

友人が出演するので、土曜に高槻現代劇場に「憲法 ミュージカル ムツゴロウ・ラプソディ」を見に行ってきました。
http://www.parr-mark.jp/mutsugoro.html

0歳児から72歳の方まで118人もの市民が歌い手・踊り手として出演し、運営には更に多くの市民が参加する、とてもダイナミックなミュージカルです。
衣裳・音楽・ダンス・歌、全てに一体感があり、大迫力のステージになっていました。みんな、すっごくすっごく練習したんだろうな・・・出演者・指導者の気力がばんばん伝わって来る素晴らしい舞台になっています。 あと1回、7月12日の河内長野市のラブリーホールでの公演が千秋楽。

惜しむらくは、脚本の偏り。一部の漁業者を被害者にしすぎではないだろうか。確かに諫早湾干拓は無駄な公共事業の典型だと思うけれども「憲法 ミュージカル」と銘打つからには、わかりやす過ぎる構成にはどうしても違和感を感じてしまう。目の前に積まれる補償金に対して漁民同士・農民同士が反対派・賛成派に分かれてしまう構図やそういう構図に持ち込んでしまう公共事業のあり方などはちゃんと描かれていたけれども、トラック運転手に転向後の仕事の描き方は必要だったんだろうか?入れちゃうことで労働感が逆に甘くなってる。これはこれで全く別の労働問題だと思う。
それもこれも全部ひっくるめて「国は…国は…」というのは違うんじゃないか。むしろ、被害者同士の対立構造とその解決方法への道を丹念に描くべ きじゃなかったか?あるいは「人の愚行」として並列にまとめるとか。もしくは、ミュージカルにはあれもこれも盛り込まず干潟の生き物の物語としてシンプルに制作して、政治的な話をする第2部を別に構成した方が良かったのではないか?

メッセージ性の高いイベントの難しさも感じつつ、でもそれだからこそ、考えることの契機としてこういったイベントがボランタリーベースで継続されることはとても素晴らしいと思いつつ帰宅しました。

政治がらみのイベントってほんと微妙。もし友達が出演していなかったら多分私も敬遠してました。 誘われてからもずっと行こうかどうしようか迷ってたんですが、 迷った時には面倒な方をとれって自分に言いきかせて行ってきました。

普段、音楽と政治、あまり絡まないですんでいるのって幸せな時代ですよね。
つくづくそれを思いました。 絡まないと音楽活動できない時代だってあったわけだし。

イベント全体として見た時には結構周到に政治色消してあって、むしろ逆にそれが気になるくらい。 市民参加のハードル下げるのにも、観客動員のハードル下げるのにも、それなりにかなり気を遣ってる感じでした。また「プロには当然嫌がられる」からという理由あっての「市民ミュージカル」だとも思いましたし。

あれこれ含めて、 主宰者側の割り切りはかなりの精度で成功してると感じました。 途中いろいろ考えたのだけど最終的には、何もしないでいるよりは、ほ〜んの少しだけでも関心を持つためのきっかけを作れれば…という慎ましやかさを主宰者に感じたのと、ミュージカル自体の完成度(もちろん出演者全員が素人なのに…という点も考慮の上)の両方で、私にとっては納得できる面の方が多かったです。

いや、そういう面倒くさいことはともかくとして、市民ミュージカルでもここまで出来るものなのか!という舞台でした。

ミヒャエル・ゾーヴァ展

仕事の帰りにMichael Sowa展へ。
前回の展覧会(3年ほど前に同じ「えき」でやってた)からあまり間が空いていないので「どんな内容かなぁ?」と思いつつ入場しましたが、ポスターなど20年以上前の作品や、最新作の絵本などからとても多くの新作を見ることが出来て大満足です。絵本5冊も買っちゃいました。

ほっと一息ついてニコニコしたい人におすすめです。
12日(日)までJR京都駅伊勢丹内の美術館「えき」で開催中。
インタビューのビデオで語られるゾーヴァさんの「制作上の悩み(?)」もとっても楽しいのでぜひ最後まで見てください。

友人に教えてもらったほぼ日での特集はこちら。
http://www.1101.com/sowa/2009-04-28.html

「雑誌」というメディア

マリクレール、スタジオボイスと個性的な雑誌の休刊が相次いでいます。

紙媒体は紙媒体で何とかして生き残って欲しいと思いますし、いずれにしても無くなることはないだろうとは思うのですが、「雑誌」という形態が持っているメディアとしての力が、ネット上にきっちり移行しているかというと、それはちょっと怪しい。

雑誌と同じタイトルのWebサイトがあるからと言って、Webで目次掲載して「続きは本誌で」とか、「ネット連携企画」とかっていうのは、「雑誌」というメディアの力の本質とはちょっとずれているような気がします。

紙は紙でしっかり頑張ってもらうとして、ネット的には、

  • 良い編集者とそのネットワークが可視化されるための枠組み
  • その存在の枠組みとしての最適ボリュームでのファインダビリティ

の両方が必要なんじゃないかと思います。

今の検索システムって、サイト単位の大きなまとまりか、記事単位での最小限のまとまりか、そのどちらかしか上手く拾えない感じがするのですが、サイト単位だと一旦「最新のボリューム」から入ってアーカイブブロックを探さなくちゃいけないし、記事単位だと大きな視点の「編集価値」を受け取れない。

GoogleやYahoo!が検索手法のフレームワークとして検討しているんだろうけど、それだけじゃ多分足りない。
「雑誌」くらいのボリューム感でしかも「雑誌」的なタイムスケール感で、時代性のある情報を上手く編集できる能力のある人が、 雑誌メタファーではないサイト構築手法を発明していかないといけないと思う。
ネットの「便利」をひとつひとつ検証してどっかで捨てることも含めて、単にコンテンツを組み換えるだけじゃない何かが必要。

ピナ・バウシュ

30日にピナ・バウシュが亡くなったそうです。

昨年の4月に大学の懇親会を途中で抜け出して びわ湖ホールに「フルムーン」を見に行ったら、同じように抜け出していらしていた先生と鉢合わせ(笑)。

ピナ・バウシュについては、友人のmixi日記で知って 、シルヴィ・ギエムの文脈系なのかと思いつつ、他には事前知識全然ない状態で見ました。
ヴッパタール舞踊団という名前にはなっているけど、 自分にとっては全くの新ジャンルだなぁ…と感じ入ったのを覚えています。

今まで聴いたことのないくらい低く太いダミ声の女性ダンサーによる朗読劇であり、筋肉によって笑いや哀しみや孤独を作っていくプロセスであり、大量の外部 (フルムーンでは水、パレルモ・パレルモでは崩落する壁と砂)を舞台に持ち込むことによる身体と世界との関係性の再発見であり…。

で、 一番強く感じたのは、予め統制された振り付けではないというところから生まれる個々のダンサー達のエネルギーの並立。自分自身、クラシックバレエをどれほど見たというわけでもないのに断言しちゃうのはどうかとも思うのだけど、多分、そこが従来のバレエやダンスとの一番の違い。
ピナ・バウシュという人は、身体の動きを振り付ける人ではなく、対峙すべきものを与え続けることで、表現すべき事を身体で考えさせる人だったんだと思う。

日本公演があったら絶対また行こうと思っていたのだけど…。

http://www.youtube.com/watch?v=YxgsKVM-6HI

デザインコンペ

○FUJITSUモバイルフォンデザインアワード2009

募集内容:富士通携帯電話のデザイン。リアル部門、ドリーム部門の2つ。
応募締め切り:7月31日(金)
賞:グランプリ1点に200万円ほか。
問い合わせ先:FUJITSUモバイルフォンデザインアワード事務局
http://mobile-award.jp.fujitsu.com/

○ものづくりルネッサンスコンペティション

〜京都発「知恵と技」伝統と先端の融合〜
エントリー締切:7月31日(金)
主催:京都伝統工芸産地活性化実行委員会
http://www.kanseikachi-kyoto.com/